利便性の罠


私たちは
利便性の罠にはまっている

利便性があがり
生活が便利になることで
私たち人間が本来持つ感覚は
どんどん鈍化し、退化している

いろいろなモノやサービスは
私たちの生活を物理的に
豊かにしてきたが、
心が豊かになったといえるだろうか

かつて
生活は不便でも
心が豊かだった時代があった

利便性と心の豊かさは
リンクしていないんだよ

心の状態は
笑顔を観ればよくわかる

途上国の子供たちの笑顔を
みてみればいい

物質的には貧しく
決して豊かとはいえない状況で
どうしてあれだけの笑顔の
輝きを放つことができるのだろう

日本人の子供をよく観てごらん
その笑顔には何が写っているのだろう

生活水準が上がるにつれて
その利便性への依存が高まり
結果として生物としての
能力が下がるというジレンマ

私たちは
地球を傷つけてまで
その利便性を
これからも追求するのか

利便性が高まった結果
産み出された膨大な自由な時間を
利便性を生み出すために使った
様々なエネルギーを上回るだけの
何かを生み出すことに
使えているのか

よく考えてほしい

私たち人類は何がしたいのだろう。

今日はここまで。


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