自分を信じぬくということ


みなさん、こんばんは。

今日は、有名な奇跡のリンゴのお話。

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木村さんがりんごを無肥料栽培で始めたのは20数年前、
農作業のなかった日にたまたま入った本屋の棚の
一番上の取れなかった場所にあった「自然農法論」である。
それを手にして米を無肥料・無農薬で作ったことに
強い刺激を受け、りんごでも出来ないだろうかと思い、
元来勤勉で好奇心の旺盛な木村さんは、
片っ端から農業関係の本を読みあさり、
本格的に取り組みだす。
それは苦悩と挫折の始まりであり、
まったく先の見えないドラマの始まりでもあった。
最初の年は前年の残留肥料のせいか順調だったが、
初夏になると葉が黄ばみ落葉を始める。
本来花が咲くのは5月中旬だが
この年は落葉した後9月に花が咲き
10月に一口大の大きさと小梅のような実がなり、
その年のりんごはまずくて渋く食べられるものではなかった。
  
それから7年間、
葉は出てくるが花は咲かず害虫と病気の闘いだった。
毎日毎日害虫取りをした。
いくらとっても終わらない。
だから農薬の効き目とありがたみを一番知っているのは
自分だと言い切る。 
収入のない生活が続く。
それでも毎日体験している作業を何とか書きとめるため
新聞屋さんで余ったチラシを分けてもらい
鉛筆で書きとめた資料は実にりんごの木箱2箱になるという、
急に小声で話し始めたが実はチラシは
鉛筆ではとても書きずらく今非常に判別しにくいと言う。
子供にノートを買ってあげることも出来ず、
昼は自分のりんご園、
夜は弘前の繁華街で働くという生活を余儀なくされる。
  
家族にはだんだんよくなってきたなと、言い聞かせるが
何をやっても害虫の被害がなくならない。
家も二度追い出される自信がなくなり
世間からも変人扱いされ、
三つ編にしたロープを持って岩木山に登ったが
実はロープが短くて用を足さなかったと笑いながら話す。
天気のいい月夜の晩で何か全身の全ての細胞が
変わったようになり、
弘前の夜景を眺めていると本当にきれいだと
思いしばらく佇んでいると足元の草木等が
りんごの木に見え出す。
しゃがんで土をすくってみると、畑の匂いとぜんぜん違う。
何にもしていないのに根っこが張リ抜けなかった。
畑の草はすっと抜けってしまう。
それがヒントになりこの粘り(根張り)が重要だと気づき、
今まで土の上のことしか見ていなかったが
大事なのは土の中だと気づかれた。
大豆の根粒菌の作用による土作りの知識があったので
6年目に大豆をばら撒いた。
その年は落葉が少なく三分の一残り翌年は半分残る。
花が咲き実がなる。
   
8年目で一本の木にだけ7個の花が咲いた。
そして2個だけピンポン玉と小指の先ぐらいのりんごが出来た。
大豆の効果はありそうだがまだまだ世間の目は変わらない。
このころりんごの木一本一本に「ごめんなさい」と
声をかけて回った。
ついに気が狂ったと思われたのもこのころである。

ところがその翌年畑一面にりんごの白い花が咲き乱れた。
隣人に教えられたがすぐに信用できないのと
今までのことがあるので、じかに見るのが怖かったので
隣の小屋越しにのぞいてみたら、
足がすくんで身動きできなくなってしまった。
涙は止まらない。
実がなってからも
木に「良く頑張ってくれたありがとう」と
いって歩いていた。
今でも一本一本話しかけて歩いている。

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自ら信念を持ってそれを貫くことの難しさと、
やりぬいた者に与えられる感動を
そのままに伝えている良書です。
家族を数年間極貧生活にさらしてまで
その信念を貫いた姿勢は本当にすごいと思います。

人間の可能性が無限大であることを実感できる
書籍ですので、お勧めします。
何か得られるものがきっとあると思います。

木村さんはおっしゃっています。

「バカになるって、やってみればわかると思うけど、
そんなに簡単なことではないんだよ。
だけどさ、死ぬくらいなら、その前に一回はバカになってみたらいい。
 (中略)
ひとつのものに狂えば、いつか答えに巡り合うことができるんだよ」

バカになれる仕事を見つけられる人は幸せだと思います。

パイオニアは孤独だ。
何か新しいこと、人類にとって本当の意味で革新的なことを
成し遂げた人は、昔からみんな孤独だった。
それは既成概念を打ち壊すということだから。
過去から積み上げてきた世界観や
価値感を愛する人々からすれば、
パイオニアとは秩序の破壊者の別名でしたない。
(中略)
人は変化を恐れる生き物なのだ。

今日はここまで。

moriokaringo1


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