みなさん、こんばんは。
みなさんは自分を知っていますか?
自分の顔を直接見ることは、
私たちは一生できません。
鏡という存在や写真に撮るという
行為を通じて初めて認識できるのです。
でも、他の人はいつもあなたの顔を
見ています。
自分のことは一番自分が見えない。
他の人のことは良く見える。
これは表情に限ったことではないように思います。
だからこそ、私たちは自分を知るために
集団の中に属しているのだと思います。
次の逸話がその状況を良く示しているように思います。
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ある食卓の上に美味しそうな料理が並べられております。
その料理を食べるときに使うお箸が、なんと長さが50センチ以上もあるお箸でした。
そのお箸の使い方が天国の人たちと地獄の人たちとは、大きな違いがあるのです。
天国の人たちは、そのお箸で料理を少しとったら、自分が大切にしている人の口に運んでいました。
そうです!自分が食べるために使うのではなく、大切な人に食べさせるために使っていました。
天国の食卓では、お箸が運ばれるたびに笑いと微笑みに満たされ、お互いの会話もはずみ、
食事をすることが楽しくてしょうがない様子が想像できるでしょう。
これが、天国の人たちの食卓です。
ところが、地獄の人たちは、そのお箸で料理をとったら、自分の口に運ぼうとしています。
自分の口に運ぼうとすると、大変な努力が必要になります。
50センチ以上もあるお箸ですから、せっかくお口まで運んだ料理も直前で落ちてしまったりもします。
しっかり食べることができません。
気持ちもあせり、料理がなくなることを心配し、誰とも会話することもなく、孤独で、
さみしい食卓の様子が想像できるでしょう。
これが、地獄の人たちの食卓です。 お箸という食事をする時の道具の使い方で、
こんなにも食事の体験が変わります。
そして、いつでも天国の食事のような豊かな体験をつくることができるのです。
また、地獄の食事のようなさみしい体験をつくることもできます。
それは、いつも、お箸を誰のために使うのか?
一瞬一瞬の選択によって決まります。
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信頼の中でお互いのことを伝え合えるような
そんな人間関係が大切だと思う今日この頃です。
今日はここまで。