認識できないを認めること


私たちは直感とか霊感というと
どうもオカルトで非科学的という
判断をしてしまう傾向にある。

でも、本当はそうではないのでは
ないだろうか。

私たちの科学が真実の姿に追いついて
いないだけのこと。

ガリレオの例でもあるように、
分からない=存在しないという
方程式の世界の中で科学を語って
いるように思う。

私たちの科学の限界は、
人としての感覚器によって認識できるか
あるいわ、顕微鏡や望遠鏡などの装置によって
何かを確認できるところまでだ。

感覚器や測定器に依存した科学検証では
到底到達しえない世界がこの世にはある。

プランク定数という値が一つの閾値に
なっている。

いろいろな考え方があるが、このプランク定数
以下の世界は私たちは認識することができない。
でも認識できない=存在しないというのは
とても乱暴な考え方だ。

テレビや携帯の情報を飛ばしている電波も
私たちの感覚器では認識できないが、
実際に存在しているだろう。
無論こうした機器は特別な機器を使えば
再現もできるし測定もできるのだが、
それができない時代に存在していないと
いっていたことと同じことをしているような
気がしてならない。

認識できない世界を認めていくのが
これからの時代には必要ではないか。
そう、認識の範囲を測定できない範囲にまで
広げていくことに新たな可能性があるような
気がする。

認識の革命が進んでいるのかもしれない。

では、また。

073


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です