『復興の力 ~国内道中最終日~』
今日はいよいよ国内ツアーの最終日。
朝起きてまずは塩釜へ。
大震災があったとき、真っ先におとづれたのが、
この塩釜と石巻だ。
大学時代、僕はたくさんの生徒をこの地で教えていた。
その時の光景と全く異なる光景が目の前に広がっていて
なんともいえない虚無感を感じていたのを今でも覚えている。
あれから、約3年。
街は復興していた。
新しい道ができて、建物ができている。
新しくおとづれた方にはきっと震災があったようには
思えない位復興していた。
でも、町の所々に傷跡が残っている。
塩釜港をおとづれると、昔あった立派な市場はなく、
「復興市場」と称したプレハブ小屋の集合体の中で
地元の方々が力強く生きていた。
昨年はあまり取れなかった牡蠣も今年は頂けるまでに。
店頭には立派な牡蠣がずらっとならぶ。
そこからりっぱなものを3つほど生でそのまま頂いた。
うまい!
当たり前にこの味が堪能できる今この時に感謝したい。
この地は実はお袋との最後の思い出の地。
大学三年の秋にお袋が亡くなったが、
その正月に家族が仙台にまで来てくれて
一緒に大学の寮で年越しをすることになった。
お袋を車に乗っけて、ドライブした先がこの塩釜港。
車の中での会話が、結局最後の会話となってしまった。
改めて親不孝な人生だとつくづく思う。
この土地の一宮様は「塩竈神社」
とても立派な神社で、御本殿へはかなり急な階段を
登らなければならない。
御祈祷所でご祈祷の申込をして、別宮の拝殿に上がる。
祝詞がこだまする中で、代表者の一人として神様の前で
二礼二拍手一礼の儀式を行う。
仙台に住んでいたときも、その後仙台を訪問しても
ここで御祈祷をすることはなかった。
今改めてこれまでの人生とこれからの人生に思いを馳せて
感謝の念を唱える。
その後、海から山へと車を走らせる。
仙台と山形の中間地点に、景勝地で有名な
秋保大滝がある。
その手前700m位のところに
慈眼寺がある。
このお寺、あの大峯千日回峰行で有名な
塩沼住職のお寺だ。
前職の社長時代に一度おとづれたことがある。
あの時は何も見えていなくて、ただすがりたい一心から
立ち寄った記憶がある。
あれから6年、久しぶりの慈眼寺は雪に包まれていた。
以前はなかった大駐車場が整備されているので、
きっとたくさんの参拝客がこちらをおとづれているのだろう。
本殿に入り、一人静かに般若心経を唱える。
心静かな静寂に包まれて、ふと我にかえる。
今も昔も何も変わっていない。
体中に血液が流れ、きちんと脈を打っている。
全ては自分の意識から生まれている幻想に過ぎない。
その幻想の中で、何を実現するかは自分次第。
様々な感情を味わいながら、自分の人生をどう生ききるか。
それがとても大切なのだとあらためて感じる。
慈眼寺からの帰りに母校の東北大学へ立ち寄る。
自分がいたころは、まだ昔ながらの校舎が数多く存在
していたが、震災後近代化が進んでしまって、
今ではほとんど当時の面影がない。
学食もビラと看板にまみれていた当時とは打って変わって
どこかの私大のテラスカフェではないかと思えるような
作りに変貌を遂げていた。
月日は確かに流れている。
そんな時の流れを改めて実感。
結局夜まで仙台に滞在してしまったので、東北道を飛ばして
東京の自宅に戻ってきた時には午前3時を回っていた。
九州から本州一周の旅で走破した距離はおよそ4500km
あすは関東の神社へ年末のご挨拶だ。