太秦と秦氏

Tadashi Hattori

静岡県出身。東北大学工学部応用物理学科卒。 1993年アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)入社。大手会計システムの設計・開発・データ移行に携わる。同社戦略グループへ配属後、医療法人システム導入PJT、大手石油会社業務改革に従事。同社を退社後、個人で複数の中小企業を相手に経営診断、営業支援を実施した後、1998年(株)ベルハート入社。発信型テレマーケティングメソッドの開発・導入指導をしつつ、1999年Bell Heart Inex Le Corp.代表として台湾へ赴任。同事業黒字化の後、代表退任し帰国。 2000年(株)ラストリゾート入社。国内拠点、海外拠点の拡大に従事。同年、同社取締役。2002年、同社取締役事業本部長就任。2006年代表取締役に就任。2009年同社代表退任後、数々の新規事業、新会社設立に参画。コンサルティングや経営参画しつつ、多くのプロジェクトに足を突っ込む根っからのお節介。 生涯調達資金額が70億円を超える資金調達のスペシャリスト。

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5件のフィードバック

  1. 秦 嘉伸 より:

    初めまして、服部様。私は秦一族の末裔、秦 嘉伸(はたよしのぶ)と言います。どうぞ宜しくお願い致します。<秦氏の集い>と言うサイトを開設しており、秦一族の歴史における話しを掲載しております。秦一族の歴史は京都や奈良よりも古く、日本が倭の国と呼ばれた弥生時代から始まっております。天皇制度がまだ無い時代ですので、当然、大和政権もありません。秦氏の歴史は九州の香春町(かわらちょう)にあります香春岳から出発しております。そして英彦山(ひこさん)や、宇佐などに広がって行くのです。秦一族は初代の天皇である神武天皇と共に近畿にやって来ました。以降天皇家に遣える一族として平安京までの歴史があります。服部という名は初代の太秦である秦酒公(はたのさけのきみ)の流れであり、京都の太秦にあります蚕の社での宮司もやっておりました。三本柱の鳥居で有名な木嶋神社の事です。‘はっとり’の語源は‘はたおり’です。また、元伊勢の神社にも服部は関係しております。その場所は吉備です。此処は服部の拠点で服部の郷です。

  2. 秦 嘉伸 より:

    「十善戒」については「十戒」とは関係ありません。この話しはガセですので。これは真言宗が仏教の中に説かれている<十大悪>を戒めるものとして説かれたもので、正しく言えば、
    「十善業道菩提心戒」(じゅうぜんごうどうぼだいしんかい)というものです。悪い事をしない事が良い事であるという真言宗の信条です。広隆寺は、色んな宗旨に改宗しながら来ている歴史があり、十善戒は真言宗の時もあった名残りです。
    太秦(ウズマサ)というのは秦一族の首長に対する敬称です。但し、天皇家からこの名を頂いたという話しは間違いです。ウズマサの名の流れは、辛国宇豆高嶋という秦一族が居た拠点にすでに見られます。また韓国宇豆峯神社というのもあります。この「宇豆」が始まりなのです。場所は九州にあります。「宇豆」の正しい意味は‘高きもの’とか‘崇高なるもの’であり、ヘブル語や、ユダヤとは関係ありません。

  3. 秦 嘉伸 より:

    秦氏と景教は、関係ありません。秦氏は景教徒ではありません。この話しは流行している様ですが、‘ダタラメ’ですので、騙されない様に注意して下さい。
    ネストリウス派のキリスト教が中国に辿り着いた時には、秦一族はとっくに日本に渡っておりまして、秦の一族は既に形成されております。また景教は、中国でそのまま滅んでおり、日本にまで来ておりません。中国で終わっております。秦氏が景気教徒であるとすれば、初めから景教徒として中国に来てなければならない話しなのです。しかし、そんな事実はありません。これはウソなのです。

  4. Star より:

    That saves me. Thanks for being so snbesile!

  5. 根木信孝 より:

    ウズマサにはジュー(=ユダヤ人)・メシア(=救世主)が音韻変化したという説もあります。

    私はこれが一番正しいと考えています。

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