ダイバーシティ


ダイバーシティという言葉をご存知だろうか?
英語で書くと”Diversity”。
“多様性”と翻訳されている。
日本では一言で”ダイバーシティ”と表現しているが、
これは英語の”Diversity & Inclusion”を省略したもので、
本来は”多様性の受容”を意味している。

ダイバーシティという言葉を使う時、意図しているのは、
「外見上の違いや内面的な違いにかかわりなく、
すべての人が各自の持てる力をフルに発揮して
組織に貢献できるような環境をつくる」ことだ。

言い換えれば、
「世の中にはさまざまな人がいます。
人種、性別、年齢、身体障害の有無などの
外的な違いだけでなく、価値観、宗教、生き方、
考え方、性格、態度、などの内面も皆違います。
『こうあるべし』と画一的な型にはまることを
強要するのでなく、各自の個性を活かし能力を
発揮できるような組織をつくる。
それは、個人にとってプラスであるだけでなく、
組織自体にとっても大きなプラスである。」
という考え方である。

ダイバーシティの考え方も、それを組織内で
推進していこうとする活動も、アメリカで始まった。
もともと「黒人と白人女性」に対する差別的な
人事慣行(採用、業績評価、キャリア開発、昇進など)を
撤廃し過去の差別の結果を正そうとする動きがその始まりである。
過去アメリカでダイバーシティと言えば
「黒人と女性という弱者救済」のプログラムとしてだけ
捉えられていたが、アメリカの社会に
「さまざまなマイノリティ」(例えばメキシコ系や
アジア系アメリカ人、同性愛者、高齢者、障害者、
退役軍人など)が登場し、権利を主張するようになり、
ダイバーシティの考え方も、より広い「マイノリティ」
すべてを包括する考え方に変わっていった。

現在多くの組織で行われているダイバーシティに
関する活動は、あらゆる意味での多様性を尊重し、
すべての人が同じ人権を持っているという考え方に根ざし、
各自が持っているさまざまな能力をフルに発揮できる社会を
作ろうという方向に変わりつつある。
アメリカの企業社会の中で、ダイバーシティ活動が
盛んになっている背景には、「さまざまな個性を持った
従業員がフルに能力を発揮することによって、
新しい商品が生まれ、画期的なプロセスが実現し、
新しい顧客に支援される企業が生まれる」という
「人材」に対する再認識がある。
つまり「人」という財産を上手に活かせる企業こそが
飛躍的発展ができるという認識である。

ダイバーシティを推進する活動はもともとアメリカで始まった
ものだが、現在の日本の企業にとっても考えるに十分
値するのではないだろうか。
概して日本の社会は欧米社会に比べて組織の中に
階級意識が比較的少なく、企業内でも職位に関係なく
従業員が「会社のために」と考え、自らの仕事の改善を
自発的に行う傾向がある。
また、ボトムアップという形で現場の意見を経営判断に
活かす機会も比較的多い。
そういった面での「多様性を活かす」という点に
かけては欧米の考え方を借りる必要はないように思う。
他方、日本の社会では「和」や「人と同じように」、
「ある集団にふさわしい行動規範」などに高い価値を
置いているのも事実だ。このような概念はそれぞれ
大変重要な価値だと思うが、一方では「一般的でない、
人と違ったもの」を排斥しがちになることも否定できない。

東京人権啓発企業連絡会の加盟企業内では
同和・人権問題の研修を通じて、
「すべての人間は侵すべからざる基本的人権を有し、
差別されるべきでない」ことを十分に理解している。
しかし日本の社会そのものが、ある面では
保守的とも言えるほどの画一性を強く求める
文化を持っている一面がある。
また、場合によっては企業内で権威や
ポジション・パワーの濫用などにより、
各自の能力が十分発揮されない場合があること、
また「差別されている」と感じている女性がいるであろう
ことは想像に難くない。

各企業を取り巻く環境には従来にない厳しさがある。
その中で求められるものは、それぞれの従業員が
自分の持っている力を、そして各自の多様な強みを
フルに発揮することだと思う。

「出る杭は打たれる」ということわざにもあるように、
日本では、飛び出た所やへこんだ所を切り取って、
全員同じ長方形にすれば、つまり画一的なタイルや
煉瓦のように、どこにでもうまくあてはまると考えてきた。

この考え方は、小さな社会での場合には目的に
かなっていたかもしれないが、今の時代では
遅れているといわざるを得ない。
多様である各自の凸凹を切り取って、皆を小さな
長方形にしてしまうことは、一人一人の持つ
様々な能力を切り捨てることになり、
全体の面積(=全体の「人の力」の総和)も小さくなってしまう。
客観的な視点からみても合理的ではないだろう。
第一、一人一人の凸凹を切り取るには労力と時間が必要だ。
そんなマイナスの調整作業に時間を費やすのは無駄でしかない。

様々な凸凹を持った、個性豊かな人々が、適材適所で、
各自の能力をフルに発揮できる社会が今求められている
ように思う。

今回の地震でそれぞれができることを、自ら考え実行すること、
そこに様々な多様性があっても、俯瞰で見れば日本人という
新しい枠で見える何かがあるような気がする。

<今日の記録>
RUN:雨でお休みです。。。いいわけです。
体重:82.5kg
体脂肪率:20.5%
摂取カロリー:1000Kcal
消費カロリー:▲1800Kcal
合計カロリー:▲800kcal(累計:▲17150)

<今日の食事>
昼:ポテトチップ
夜:ごはん一膳+目玉焼き


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