魂と出会う旅(12)


『伊弉諾と伊弉冉 ~日本創造の神~』

今日は朝からとてもいい天気。

ホテルの窓から、淡路大橋がとても綺麗に見える。

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今日はこれまで訪問しようとして実現できていなかった

淡路島にある伊弉諾神宮を訪問した。

身支度を済ませてホテルをチェックアウトした後

近くにある五色塚古墳に少し立ち寄る。

ここは、以前もおとづれたが、住宅街の真ん中に

突然前方後円墳が現れる。

上空から見ると、古墳というよりは「鍵穴」にしかみえない。

神戸は「神の戸」と書く。

いろいろなことが神戸から発信されて、今動き始めている。

その象徴とも言える場所がここなのかもしれない。

そんなことに想いを馳せながら、淡路大橋を渡って

人生初めての淡路島上陸へ。

淡路島は自然がそのままに残されている場所が多く、

何かの封印で守られている感じがする。

そもそも淡路とは「あ」~「わ」までの道で、すべてを示す言葉。

ちなみにそのあとに抑えに入ったのが、伊予の国。

あの内側の「い」とわの内側の「よ」を抑えて名づけた格好だ。

そのまま車で小一時間走らせると、この地域の一宮である

伊弉諾神宮に到着。

すぐ近くにある中学校の名前が「一宮中」

地名や学校などの名前にはこうした歴史が刻まてていることが多い。

周りには本当に何もなく、門前町も発達していないが、

あきらかに凛とした空気が漂う空間。

神社に伊弉諾という名前を使っていることもあって、

ここもすごい場所。

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門を通って、そのまま境内へ。

人もあまりいないので、ここでは正式なご祈祷を

していただくことに。

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本殿にあがり、しばらくまっていると、若い神主さんが

おとづれて、立派な祝詞を献上する。

奥の本殿にまで入ることができて、そこで改めて心から

神恩感謝の意を天津祝詞と共にお伝えした。

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ちなみに、日本書紀や古事記には、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、

最初に生んだ場所が淡路島の多賀の地の幽宮(かくりのみや、終焉の御住居)に

鎮まったとあり、この神社の起源とされているらしい。

伊弉諾尊の幽宮と伝わる場所は、滋賀県の多賀大社がある。

これは『古事記』の「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」

(いざなぎのおおかみは あふみのたがに ましますなり)との記述

から来ているとのことだ。

そういえば、昔からなんとなく感じているのだが、おのころ島伝説で

最初に国づくりを行った際に、できた島が淡路島で、その形の

点対称の位置に琵琶湖がある。

淡路島と琵琶湖、なんとなく形が似ていると思っているのだが、

これは単なる偶然なのだろうか。

先に紹介した多賀大社とこの伊弉諾神宮との位置関係も

すごく気になる。

そんなことを考えながら、伊弉諾神宮をあとにして、

四国を車で横断。

四万十ウルトラマラソンなどで四国には毎年来ているが、

愛媛や高知がメインで、香川や徳島へはほとんど来ることが

なかった。瀬戸内海と山々のコントラストに感動しながら、

ドライブを楽しむ。

日本の各地には、本当にたくさんのエネルギーがあって

それが今メディアによって封印されている。

本来私たちはもっと日本がもつこの力に興味をもって

世界に向けて発信すべきなのに、なぜかそれができない。

日本人は戦争によって、たくさんのものを失った。

戦後、経済的には復興し生活も豊かになったかもしれないが、

未だに全く復活していないものがある。

日本人としてのココロだ。

本当の豊かさは物質によって実現できるものではない。

豊かさはその人の心の持ちようによって持たされるものだ。

各地に根付く古の方が残した様々な史跡やエネルギーを感じて

ふとそんなことを想った。

車を運転しながら、そんなことを考えていたら、いつのまにか瀬戸大橋を渡っていた。

旅は広島へと続く。

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