幸福度という指標


日本信頼財団のメルマガ記事より抜粋

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ブータンはアジアの小国でヒマラヤ山脈南麓に位置しています。
一人当たりGNIが1,920(米ドル)(世銀資料2010年),
人口約69.6万人(ブータン政府資料2010年)という国です。
私がブータンに興味を持ったのは,開発途上国でありながら
幸福度が最も高いと言われる国
であること,そして数年前に写真で見た,質素でほとんど
所有物を持たない人々の笑顔でした。

ご存知の方も多いと思いますが,ブータンは1980 年代初めに
当時の第4 国王によってGross National Happiness(国民総幸福量)が
提唱された国として有名です。
「国民総幸福量(GNH)は国民総生産(GNP)よりも重要である」として
経済成長を重視する姿勢を見直し,伝統的な社会・文化や民意,
環境にも配慮した「国民の幸福」の実現を目指す考え方を導入したのです。
その背景には仏教の価値観があり,環境保護,文化の推進など4本柱のもと,
9つの分野にわたり「家族は互いに助け合っているか」「睡眠時間」
「植林したか」「医療機関までの距離」など72の指標が策定されています。
国家がGNH追求のために努力することは憲法にも明記され,政策を立案,
調整するGNH委員会が重要な役割を担っていると聞きます。実際,ブータン国民の
約97%が「幸せ」と回答しているそうです。

開発途上国であるブータンでは,世界では珍しく国際労働機関
(ILO)による児童労働禁止に関する条約に批准していない国
でもあります。
実際ブータンの都市(首都ティンプーやパロ)には
多くの子どもたちが学校に通いながら両親の営む店で働いています。
ユネスコなどの教育指標では,前期中等学校への純入学率が
約6 割くらいだとされています(ユネスコGlobal Monitoring Report 2009)。
児童労働は将来の教育的効果や経済効果などの側面から有益でないと
されていることが多い昨今の潮流の中では議論となるものかもしれませんが,
ブータンの子どもたちは家族的な環境の中で働くことによって自信をつけ,
自尊心を高めているという研究結果もあります。

そんな牧歌的なイメージの強かったブータンで,近代化の波が押し寄せ
徐々に変貌している様子が窺えたのが
「幻想にまみれたブータンへの開発援助-コメは余り,棚田にホテルが
建てられている現実(http://bit.ly/sR69gb)」という記事でした。
記事の内容の結論は開発途上国の援助に関するこれまでの見解に対する
成否ですが,記事の端々から近年のブータンの変化の様子が垣間見られました。
見方によっては
「国民総幸福量(GNH)は国民総生産(GNP)よりも重要である」とする姿勢が
少しずつ変化しているようにも感じられ,私自身としては何か残念な気持ちが
残った記事でもありました。

「経済発展の中で物質的に豊かになることだけでは人間は幸せになれない,」
ということは資本主義経済が直面してきたさまざまな事象が証明してきました。
けれどもそれを知っていたとしても20世紀の経済成長の中で生まれ育った私たちは,
経済効率や効果,平たく言えば「より速く豊かに」なるために拡大してゆくことが
「善」であるという尺度以外に判断基準をほとんど持っていないのではないかと思います。
そしてその価値観とは違う価値観を軸にして生きるためには意識的に判断することが
必要な場面が多いと思うのです。

ブータンの「国民総幸福量」という考え方は経済成長の偏重に警鐘を鳴らし,国全体で
取り組んできた挑戦だと思います。しかし20世紀の資本主義経済による効果・効率を
善とする価値観は根強い…自分自身の中にもある「より速く豊かに」という古い価値観と
向き合いながら,新しい時代への脱皮してゆく挑戦をしてゆきたいと改めて感じたのでした。

------記事ここまで。

以前こちらのブログでも書いたが、日本人は今一度幸せとは何かということ
についてもう一度その定義を考える必要があると思う。
今までのように右肩上がりの物資主義の価値観で本当によいのか、
ブータンのように「足る」を知り、日々幸せ感を感じながら生きるのが
よいのか、まさに今考えなければならない時だと思う。

実際、国としてのBSやPLすらまともに出せない日本という国家が
国民総幸福量という指標を正しくだせるかは難しいが、こうした指標を
日本社会に対して継続的に投げかける、そんな組織があっても
よいように思う。

将来考えている財団構想の中で是非重要なコンセプトとして取り上げて
いきたい。


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