「服部」の由来


本日、秦氏の末裔という方からメールを頂戴した。
以前このブログで秦氏に関する記事を掲載したことが
あったが、そこでの内容に一部デマが入っていたため
そのことに対するご指摘を頂いた。
こちらの内容はコメント欄をご参照いただきたい。
また、今回、服部姓についての貴重な情報を
頂戴したので、ここでご紹介したい。

ブログ:「秦氏の集い」より以下抜粋

「秦一族の服部」

秦一族の中に服部(はっとり)という名がある。
服部は秦氏とは関係ないとささやいている研究家が
チラホラと居る様だが、これは前回までの{笑える話し}と
同じ事だ。文献等でしか研究していないからそうなるのだ。
現地取材などもちゃんと行わなければ知らぬ事も多い。
知らないままで、知っているかの様に言っていると
恥をかく事になるぞ。
今回はその点について紐解いて行きたいと思う。
今回は金鵄様にも来て頂いているので、改めて認識出来るものと思う。

そもそも‘はっとり’と言う名の原初由来は‘はたおり’の変化である。
つまり‘機織’だ。従って秦一族の中でも‘かいこ’の関係にある。
織物の関係である絹や綿を作り、またそれらを用いて
色んな物も様々に世に出していた。
秦一族の‘製鉄’や‘革’等を合わせた武将達の‘鎧’も言うまでも無い。

そういえば、このブログの全国ネットワークの関東の人に
服部氏がおりますが、以下の様な事を言ってました。

「服部(はとり)、漢服部とか、服部神社とか痕跡が残ってたかと思います。」

「あと祖父の実家は「蚕」を‘お蚕さま’と呼び、大切にしていたそうです。
祖父に繋がる家系は代々、服部の姓を名乗っていました。」

うむ、服部とは書いて字の如く‘服’に関係した秦氏である。
この者の祖父が‘かいこ’を‘お蚕さま’と呼んでいたのはまさに然りである。
京都の<蚕の社>と共に祀られている‘木嶋神社’について述べれば、
此処は日本三大鳥居で有名な<三柱鳥居>がある場所であるが、
実は此処の宮司を勤めていたのは、[神服氏]である。
これは神主=服部=氏族の略だ。服部は伊賀忍者の集団の
頭領としても有名であるが、実際はその時代よりも遥かに
長い歴史のある秦氏である。

~中略~

だが、服部を調べるならば、元伊勢の神社らを調べると良いだろう。
その中に吉備の織部(おりべ)がある。
これは‘服部郷’と呼ばれており、‘葉田’や‘服部’の地名がある。
桃太郎の童話にある吉備だんごが有名な所であるが、
実は秦氏関係の服部の里である。
元々秦一族は伊勢神宮とも深い関係があるから、移動して
来た場所には秦氏に関わる所が多いのだ。
因みに、この吉備には秦氏の神=加羅(加耶)の神を
祭神とする神社がある。調べてみよ。

『服部氏の祖は酒ノ君なり』

これは服部の一族が秦氏である明かしである。
そして木嶋神社(木嶋坐天照御霊神社)の宮司をしていた
明かしでもあり、蚕から機織(織物)をしていた明かしである。
「酒ノ君」とは最初の太秦である秦酒公(はたのさけのきみ)である。
この酒公は同じ山背の大避神社に‘太秦明神’として祀られておる。
秦の始皇帝と弓月君ともにの。そして三柱鳥居の木嶋神社には
造化三神の始めである‘天御中主命’が祀られておるのだ。
これだけでも珍しい事であるが、さらには国津神の大国主も
祀られているのだ。これはどういう事か?

う~む、確か・・・ 秦一族の原初は、同じ渡来人である葛城氏や、
物部の一族とも何らかの関係があったと聞いた事がる。

左様・・・。秦氏の祀る神は{笑える話し}の項では天津神、国津神、
八百万の神たちであると、そなたは答えておったが、
原初は新羅神であった。だが元を糺せば秦一族は何度も渡来して来た。
文献のそれぞれに誤差があるのだ。弓月君の話しは大和や山背に
移動してから後の渡来の話である。従って最初は物部の一族とも
関わっていた。神武以前の関係である。

太秦(ウズマサ)について述べれば‘光の賜物’とも訳されているが、
厳眞の「本当の謎」の項にある九州の研究から出て来た
地名の一つである辛国宇豆高嶋や、神社の一つである
韓国宇豆峯神社などの名前にある‘宇豆’こそ日本での
太秦のウズの始まりであるのだ。その時代は京都の山背よりも
遥かに古いと言えよう。ウズは‘山’の意味を持ち、
‘高きもの’という事である。
太秦とは、高きものとして地位=光を賜わったもの・・・。

----引用ここまで----

なんかこうしてみると「服部」という名前に不思議な因果を
強く感じる。今月は無理だが、来月には少し時間ができるので、
是非伊勢に訪問して確認してきたいと思う。
自分の名前だけでなく、地名などにもいろいろな歴史が
込められているので、そうしたものを紐解いていくことが
これからすごく大切なように思う。

<今日の記録>
RUN:11km (今月60km 今年1380km)
体重:82.8kg 体脂肪率:19.8%
カロリー:+2000-2500=▲500(今月+70)

<今日の食事>
朝:グレープフルーツ
昼:手巻き寿司
夜:握りずし


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  1. Ryoichi Yamato より:

    私の実家、伊勢崎市は秦氏が祀られています。地名が、「伊勢神宮の前(サキ)」にある土地ということで、伊勢崎になったようです。伊勢神宮と関係が深い土地だったのでしょう。だからこそ、伊勢崎、桐生、足利などは繊維の街になっていったのでしょう。

  2. Tadashi Hattori より:

    大和さん、コメントありがとうございます。確かに強いご縁を感じますね。時間を見つけて一度めぐってみたいものです!

  3. 秦 嘉伸 より:

    大きく取り上げて頂いて有り難う御座居ます。
    服部の名は、おそらく奈良時代から平安に掛けて秦一族が一部、名を変えた中の一つ。
    それまでは、服部姓も古い時代は「秦」か「幡」或いは「波多」であったと思います。
    また、秦一族の象徴は「鷹」ですので、鷹の話しがある所には秦一族が関係していると思います。注意してみて下さい。因みに絹糸(きぬいと)とは音読みで‘きんし’であり、これは神武天皇の東征の話しに出て来ます‘金鵄’の隠語です。

    1. collabo13 より:

      秦さま、貴重な情報をありがとうございます!

  4. 関東 服部 より:

    秦さんに教えて頂いて訪問させて頂きました。
    秦氏の集いメンバーの服部と申します。
    さて私は群馬県や栃木県にもわりと近いので、桐生や足利にも度々足を運んでいましたよ。
    足利市は藍染めが結構有名です。
    桐生は競艇ですとか(^’^)がまあ有名です。
    桐生は自然が濃いとても安らげる緑の空気がおいしい良いところですよ。

  5. test より:

    Seems as if it’s finally planning to warm up again .. It would have been a wild winter this season all around the county. Is seems just like spring time won’t come in time… Looking towards our summer months ahead .

  6. とりとん より:

    こんばんは。はじめまして服部のルーツを、調べています。
    父は太秦育ちです。
    掲示板は、活用されていますか?

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