吾唯足知


人の欲望には際限が無い。
そうした中でどんなに物的に裕福になっても
人からみた幸せ感と本人が感じている幸せ感には
大きな乖離がある。

当たり前のことが当たり前でなくなると、初めて
私達はそのありがたさ=有り難さ=貴重さに
気づく。今回の震災では特にそのことを強く
意識させられた方も多かったと思う。

京都の龍安寺というお寺に、以下の図のように彫られた
つくばいがある。

真ん中の水を入れる四角を共有すると、上から時計回りに
「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と読める。
文字通り読めば「私は満ち足りていることだけを知っている」という
意味だが、実際には「満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、
満足することを知らない者はたとえ金持ちでも不幸である。」
という意味が込められている。

幸せに生きる為に、「吾唯足知」ということは
とても大切な事だと思う。

人間の欲望は際限が無い。
それを追い求め続けてもきりが無い。
どこかで満足することを知らなければ
どんなに物質的&金銭的に裕福であっても
他人がうらやむような生活を送っていても
本人に幸福感は得られない。

また、今の自分が幸福であることを認めて、その状態
に満足し、感謝する心が無ければ、人は幸福になれない。
自分を大切にすることもとても大切な要素ではないだろうか?

世の中には自分をないがしろにしている方がとても多い。
この世に生まれてきたことには必ず大きな意味がある。
どんな逆境にあっても、自分の存在価値を認め、
その存在に感謝し、日々大切に過ごすことが本当に大切だと思う。

<今日の記録>
RUN:10km(今月:125km 今年1065km)
体重:83.2kg 体脂肪率:20.3%
カロリー:+2300-2800=▲500(累計:▲18990)

<今日の食事>
朝:おさしみ+ごはん
昼:からあげ+ごはん
夜:おさしみ+ごはん


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